金剛院

 永亨五年(1433)に平出村に開かれた安泰寺と称したが、天正年間に焼失し、後に領主青木紀伊守により再建された。慶長15年(1610)の府中領主本多富正により青木氏の城跡の現在地に移転した。境内に僅かに土塁跡が残る。