◆第26代継体天皇
世阿弥の謡曲「花筐(はながたみ)」をモチーフにした継体大王と照日の前の像。
(越前市味真野苑)
越前漆器の起源は、継体大王が即位前、まだ男大迹王と呼ばれ味真野におられたころ、その王冠の修理がきっかけだという伝承があります。
また、越前和紙は、この頃、岡太川の上流に美しい女神が現れ、村人たちに紙の漉き方を伝授したという伝説があります。

 この第26代継体天皇は、応神天皇の5世の子孫にあたり、第26代の天皇で、没年は531年あるいは534年といわれています。
 継体天皇は父・彦主人(ひこうし)と母・振姫の間に、近江国坂田で生まれ、その後父を亡くしたために母の実家にある越前国三国に移り、そこで成長した。57歳のとき武烈天皇が亡くなり皇位を継ぐべき皇族を求めていた大伴金村が招いたそうです。
 しかし、即位後もなかなか山背などを転々としてなかなか大和に入らず、即位後20年の後大和に入ったそうです。
 この間、大和の敵対勢力と対峙し、勢力を蓄え大和に入り新王朝を打ち立てたという王朝交代論が有力だそうです。

 越前でこの歴史ロマンを感じていただければ幸いです。
 福井市足羽山にある継体天皇像

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