越前町織田は織田一族発祥の地。
劔神社の鎮座地である織田は、織田信長の祖先の故郷。
織田氏の祖は越前織田の荘官として、また越前二の宮の神官として代々、社に仕えてきました。
応永年間(1394〜1427)、神官の子「常昌」は、時の越前の守護斯波氏にその才能を見出され、家臣として取り立てられ、尾張の国に派遣されました。苗字は故郷の地名をとって織田氏を名乗るようになりました。
織田氏は次第に尾張で勢力を伸ばし守護代にまで昇りつめ、信長の時には尾張一円を掌握し、更に日本全国に雄飛するまでになりました。
信長は戦国の乱世にあっても、劔神社を氏神として深く尊敬し、武運を祈ると共に、多くの神領を寄進し社殿を造立するなど、劔神社の保護と住民の治安に尽くしています。
社記によると、神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇第二皇子、忍熊王が賊徒討伐の際、素盞鳴大紳の御神助を得て平定されたので、王がその神恩報謝のため織田の地に社を営み、それまで座ケ岳(当社、北に位置)の峰に祀られていた素盞鳴大榊の御紳霊を“劔大明神”と仰ぎ奉られたのがこの神社のはじまりです。
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