◆ちひろの生まれた家記念館 |
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絵本画家いわさきちひろは、この家の離れでうまれました。 |
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ちひろの母文江が住んでいた当時を伝える板壁や箱階段等大正時代を復元するため、慎重に改修を行い、町 屋風の記念館として再現しています。 大正時代のおもかげを残した建物内部とちひろの絵本・絵画など、当時の文化・生活を知る上で貴重な資料です。 |
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母文江は、大正2年に奈良高等師範学校を卒業し、武生町立実業高等女学校の教師として武生に赴任しました。大正7年、建築技師倉科正勝と結婚後も単身武生で教師を続け、ちひろ誕生後の大正8年、夫の待つ東京へと武生を去りました。 いわさきちひろは、母文江の赴任先である福井県武生市(現越前市)に三人姉妹の長女として生まれ、東京で育ちました。 「世界中のこども、みんなに平和と幸せを」という願いをこめて、子どもを生涯のテーマとして描き、1974年肝がんのため死去しました。享年55歳。 |
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