越前市国兼町にある大塩八幡宮です。
社の解説によれば、寛平三年の鎮座。

 第五十八代光孝天皇の御代、仁和三年(887)八月三日、紀中納言友仲朝臣が、当国国府の南泉島へ流罪となった。無実の罪を嘆きながら、現在の本殿に位置に榊を植え、石清水八幡宮の神を祀った。
 宇多天皇の御代、寛平元年(889)三月勅許により京都へ戻ることができた。
これを喜び、神勅を戴いて社殿を造営し寛平三年(891)八月二十日、石清水八幡宮の神霊を勧請したのがこの神社の始まりだそうです。

 鎮座の際、王子保一帯を神領としたことから、大塩保八幡宮と称するようになり、江戸の頃に、大塩八幡宮と呼ばれるようになったそうです。

 神門をくぐると、鎌倉時代の梵鐘(市指定文化財)が、その奥には、室町時代の建立、入母屋造杮葺の大きな国重要文化財の拝殿があります
拝殿の後方、一段高い位置に、社殿が並んでいます。
 大塩八幡宮入り口   
 拝殿(重要文化財)  拝殿の中(重要文化財)  拝殿 (重要文化財)
   拝殿(本殿側より撮影) 本殿