何とか世の中を変えたい。そんな思いに駆られて、当時の私は本をむさぼり読み、さまざまな消費者運動に参加することに時間をさきました。しかし、いくらヒステリックに叫び続けても告発型の消費者運動では、世の中はなかなか変わりにくい。そう実感するようになりました。また、もし変えることが出来たとしてもそれにはあまりにも時間がかかり、その間にもどんどん汚染は進んで行く。議論はもうたくさんだ、まず私から行動しなければ日本の土も川も海も、そして食べ物も何も変わりはしない。どうしても無農薬・有機栽培の原材料で味噌が作りたい。
1992(平成4)年。居てもたってもいられなくなり、周囲の猛反対を押し切って代々河崎家に伝わる水田で無農薬・有機栽培の米づくりを始めました。翌年には全圃場を有機化し、さらに翌年には越前市白山地区で畑を借りて、大豆の有機栽培を開始。1995(平成7)年には、農業部門を農業生産法人有限会社瑞穂として法人化し事業を拡大していきました。
心と体に突きつけられた、有機農業の現実。
しかし、無農薬・有機栽培と口でいうのは簡単ですが、実際に始めてみるとハンパではなく、有機栽培の想像を超える厳しい現実を目の前に突きつけられる結果となりました。
肥料はすべて手作り。作るのも大変ですが、圃場に撒くのはさらに大変でした。除草剤を全く使いませんから、圃場は瞬く間に雑草の海と化していきました。取っても取っても、生命力の強い草は、私をあざ笑うかのように生えてきます。真夏に一日中腰をかがめての草取りは、滴った汗が乾燥して額からは塩を噴き、腰がちぎれてしまうのではないかというほど過酷な苦しさでした。とはいえ、やり始めたばかりでいまさらやめるわけにもいきません。しかし、やれば肉体労働の苦しみが待ちうけていました。
挫折。そして専業農家との出会い
なぜ私はこんな苦しみを味わうのだろう・・・と、自問自答を繰り返しながら、心の葛藤と体の苦痛にさいなまれる日々が延々と続きました。そんな年月を重ねていく中で、有機専業農家の藤本農園(福井県鯖江市)さんと、金沢農業(石川県金沢市)の井村さんとの劇的な出会いがありました。彼らの話を聞くしたがって、自分がやっていた有機農業は「ただ手間をかければいい」という素人の仕事で、彼らは農業のプロであることをイヤと言うほど思い知らされました。そして、有機みそを造りたいのなら、自分が直接米や大豆を作らなくても、有機栽培のプロたちから原料を分けてもらえばいい。そして、彼らが汗して作った「有機農産物」というバトンを、消費者の皆さんに「有機みそ」という形に加工して手渡していくことが、味噌造りのプロである私に課せられた社会使命はないか?私がやらなければならないことなのだ・・・と、考えが変わり始めました。
いまマルカワみそが掲げている【美味しさは、土のおかげ様】というサブスローガンには、その時の思いが込められているのです。

通常、味噌蔵が味噌を仕込む折の米麹や豆麹を作る時に使う種麹(こうじ)菌は、工業的に純粋培養したものを使います。この種麹は、味噌蔵には使いやすく安定的で確実な味噌を造ることができますが、自然界にいる天然麹菌による味噌づくりは麹菌の採取や熟成管理が非常に難しく、しかも有機原材料を使った味噌となると国内ではすでに1軒もありませんでした。
そんな中、昔ながらの伝統的な匠の技で造られた本物の発酵醸造食の復活を提唱されている菌匠会顧問の三好基晴氏から、日本から姿を消してしまった天然
(野生)麹菌を使った有機みそ造りへの熱い思いに心打たれました。そこで、50年前まで天然麹菌で造っていた、当蔵会長の河崎宇右衛門の勘と記憶を頼りに、創業以来90年以上も味噌蔵に棲みついている天然麹菌を使い木樽で1年間寝かせた天然醸造の有機みそ造りに挑戦。国内では唯一半世紀ぶりに天然麹菌仕込み味噌を復活させました。
本当に天然麹菌かどうか?通常使っている市販種麹菌が混入していなかを調べてもらったところ、マルカワみその味噌蔵には少しずつ性格の違う4種類の天然麹菌が棲みついていることがわかりました。また、採取した麹菌は市販されている種麹菌とは別の種類のものであることも確認されました。味噌造りに使いますと、この4種類の麹菌がそれぞれの味を醸しますので、まるで四重奏のような旨味とコクを醸し出し、天然麹菌による天然醸造でないと出せない美味しい味噌が出来上がります。
現在、天然麹菌を使った有機みそ「日本」と「有機あまざけ」を商品化。今後は、さらに天然麹菌仕込み味噌のバリエーションを展開していこうと考えています。
詳しくお知りになりたい方はこちら>>> http://www2.odn.ne.jp/kentei/index.htm