北陸の小京都 越前大野
越前大野 街中再発見!!
日本百名山荒島岳と天空の城越前大野城のコラボ

日本百名山荒島岳と天空の城越前大野城
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雪深い奥越前の1月・・・の筈が暖冬の所為か昨年に続き雪の無い年末年始となった。
とは言っても1月半ばに50cmばかしの積雪に成った。
雪の白と冬空の青、何ともいえない美しい景色に誘われ郊外ウォークを楽しみました。
慣れ親しんだ冬の風景なのに・・・新鮮な感動すら覚えるほどの午後でした。

日本百名山荒島岳と天空の城越前大野城
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日本百名山「荒島岳」は深田久弥の地元贔屓の山だと心無い事を言う岳人もいますが、日本三大天空の城の一つ「越前大野城」とのコラボ雪景色はどうでしょう。
地元民の信仰の対象で「大野富士」と誇られる山容は深田久弥の言葉通り気品ある姿と思うのも地元贔屓でしょうか。
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寝正月も流石に3日目ともなると外の空気が吸いたくなって来る。
去年は自宅から4キロ近くを歩いての初詣であったが、今年は気持ちが向かない。出がけにぐずぐずしている間に午後3時になってしまった。
この時間から歩き出したのでは帰って来る頃には真っ暗に成ってしまうからと、車で出掛ける口実を自分に言い訳して、ようやく家を出た。

先ずは歩いても5分足らずの町内の氏神さん、八幡神社へ。


今日のお賽銭は100円と決め、早々に次の柳廼社へと向かう。
ここの祭神は大野4万石の7代目、幕末の名君「土井利忠」公で明治15年に旧家臣のよって建立された。
祖先の主君なので年に数回は詣でている。

神社の左手奥に越前大野城(通称亀山城)への入口がある。
城への登り口はこの南口、裏手の西口、北口、東の百闕竚と東西南北にあるが、もっともポピュラーで登り易いコースである。
この城門をくぐり抜けて緩やかな坂を登り、大きく左にカーブせずに細い百闕竄ヨの道を進んだ。




九十九折れの階段を150段も登れば、東口からの緩やかな登り道に合流する。合流地点に在る展望台からは大野市街が望める。

少し登って行くと本丸城門跡の広場に出る。左に大きく曲がって少し上ると「金森長近(織田信長の武将であり、美濃から大野へ入り一向一揆を平定した功績で信長より大野を与えられ、大野城を築城し城下町大野を建設の後、天正年間に飛騨へ攻め入り飛騨高山を建設した。)」公の銅像が立っている長屋門と番所跡にでる。



突き当りにそびえる天守閣の石垣は加工しない自然石を積み上げた「野面積み」と呼ばれる天正以前の古い工法である。
石垣の右手になだらかな駕籠道があり、左手には「武者登り」と呼ばれる一般武士の登る狭く急な階段が在り、築城当時の野面積みが残っている。





亀山頂上の方位盤。大野盆地東方部の眺望が良い。天守に登り回廊からは大野盆地のパノラマが素晴らしいので、見られることをお勧めします。
「武器蔵」跡、「お福池」、「土井利忠」公銅像前を通って遊歩道を下山。

次に向かったのが清瀧神社。

洞雲寺


篠座神社・・・式内九社の内である。境内一帯が豊富な遊水池で篠をよりましとして現れる湧水の神信仰が起源であると考えられる。これが養老元年に泰澄大師が大己貴大神(大国主命の別名)のお告げで創建したと伝えられる。




春日神社・・・
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越前大野 街中再発見!!
越前大野街中ウォーク 3
昨日の雨で黄砂の薄曇りも無くスッキリとした今朝は「あまのじゃく」からそのままの帰宅は勿体無く思い、最近、話題の「天空の城」の撮影スポットの戌山城址へ登る事にした。

左の小高いピークが撮影スポット
鍬掛区のホームセンター「パルス」駐車場に車を止めショッピングセンターとの間を通り抜けて十字路を右折し村の方角へ歩き、小さな公園を過ぎると左手に案内板が見えて来る。

ルートの案内板
右手前方のお寺の山門に向かい歩けば左側に登山口がある。

洪泉寺山門左側が登り口
境内の墓地を通ると間もなく登山口に辿り着く。

墓地内を過ぎると薄暗い谷間をジグザグに登るが直ぐに明るい斜面の道になる。

低い尾根筋に出ると道は左右に分岐する。
本来は左手の尾根筋を登るのだが、右手に降りて、ローアングルの撮影ポイントに寄り道をしてみる。

倒木を過ぎれば小さなピークに出る。

ここからのアングルは越前大野城が、目線よりやや下方に、案外、間近に見える。

分岐点まで戻り、矢印の指示どうり明るくなだらかな尾根道を登り降りする。

尾根道の分岐点

日差しの当る尾根道
日当たりの良い斜面には紫の可憐な「Spring ephemeral 春の妖精」カタクリが咲き出した。

最後の小ピークを越えればもうすぐだ。

戌山城の堀割跡と見られる細い掘割を右に折れ、細い道を登りきった小広場が「天空の城 越前大野城」の撮影スポットである。
案内板には頂上迄約15分と成っていたがかなりの健脚でないと???だろう。


左手にスキージャム勝山で有名な「報恩寺山」、右手に「経ヶ岳」、その直下に「六呂師高原」と越前大野の市街地が望める。晩秋から初春の寒い朝、それもシーズン中に数日しか撮影チャンスが無いが、幻想的な風景に魅入られ雪の中撮影に訪れる写真愛好家が多い。
爽やかに晴れた大野盆地に佇む春の午後の越前大野城はこれはこれで結構、絵になる。

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越前大野 街中ウォーク 2
今朝も「あまのじゃく」での釣り談義を終え、帰路は亀山歩きと決め11時に店を出て歩き始める。
途中、朝倉義景墓所に立ち寄る事にした。

朝倉義景公墓所

朝倉義景墓所案内図(写真クリックで拡大)
朝倉義景は近江の戦国大名浅井長政と同盟し 織田信長との戦いに敗れ、大野で自害した有名な越前の戦国大名です。

義景清水
ここにも街中のいたるところで湧く名水、「義景清水」と呼ばれる湧き水が有り公園として整備されています。
ここから亀山に向けて少し歩くと城の南側を流れる新堀川近くに湧く「新堀清水」に出る。
今日はここから柳神社の境内を通って「百軒坂」を登る事にした。

民俗資料館と本殿
民俗資料館は明治22年(1889)に建てられた大野治安裁判所を移築したものです。
本殿右奥の階段が百軒坂登り口です。

百軒坂登り口案内板

百軒坂登り口案内板
昨年からカモシカが現れるとの情報を耳にしていたがどうも本当らしい。
出逢う事がラッキーなのかアンラッキーなのかは???だが・・・。

九十九折れの百軒坂
勿論、九十九もの折り返しではないし、西登り口の直登の石段程では無いが春先のトレーニング不足の脚には結構キツイ。
天守への遊歩道を経て、昨日と同じ北登り口を下りる。
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越前大野 街中ウォーク 1
盆地の雪も随分と融けてようやく低い山の地肌が見えてきた。四方を雪山で囲まれた盆地の春はまだまだ寒いが和らいで来た日差しに誘われて昨日から、待ちに待った山歩き、鮎釣りに備えて街中ウォーキングを始めた。「あまのじゃく」で釣り仲間のH先輩が亀山(越前大野城の在る小高い山)へ登ってから来たとの事だったので、帰り道は亀山コース廻りにした。

越前大野結ステーションから亀山を望む

亀山南登り口門

頂上までの距離とタイムの標識

藩主土井利忠公像

近道の階段と遊歩道の分岐

遊歩道途中の東口との出会い
ここは「百間坂」と呼ばれる藩政時代の二の丸御殿から天守閣への道であった。
この直下の小学校の位置に堀に囲まれたかっての城内(二の丸・三の丸)が在った。

天守閣の側面を北方向から仰ぐ

天守台広場から東方向「荒島岳」を望む

冬季閉鎖中の天守閣入り口
冬季期間の今は未だ閉館中だが天守閣望楼からの四方を山に囲まれた大野盆地をぐるっと見渡せるパノラマは一見の価値が有る。

天守閣下お福池逆さ天守と金魚
登って来たとは逆の南方向の降り口から下ると武器倉跡が在りその下に小さな池が在る。小さな池だが城や桜の花が写りこみ金魚とのコラボも風情がある。

西国三十三ヶ所亀山石仏
北登り口へ向かう。亀山観音霊場を経て下山。
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越前大野ってどんなとこ?

御清水
周囲を高い山々に囲まれた多雪地帯の山々の伏流水を水源にする平成の名水百選に選ばれた御清水を始め、天然記念物の陸封型イトヨ生息地本願清水に代表される数多くの湧水池が点在する大野盆地はまさに「水の故郷」と呼べるだろう。

越前大野城

寺町通り4>
「越前大野」は戦国時代から奥越前の中心地として栄えた城下町で戦国武将金森長近公が1576年に築城の通称「亀山城」東側に碁盤の目状に整備した町割りは北陸の小京都とも呼ばれる。400年以上の歴史に及ぶ古い町並みや庶民の台所として連綿と続く「七間朝市」や古い寺が連なる「寺町通り」は城下町の風情が所々に残っている。同じく金森長近公が1586年に建設した飛騨の小京都「飛騨高山」と町並みは良く似ている。街中散策後、時間に余裕が有れば是非「越前大野城」天守からの大野盆地を取り巻く美しい山々と北陸の小京都の町並みを眺めて欲しい。「岐阜城」や「郡上八幡城」と同じように山城の天守閣からの眺望は格別である。

天空の城
晩秋から初冬の地表が冷えた晴天の午前中大野盆地を覆う霧の織り成す雲海の上に姿を現す越前大野城はまさに天空の城と呼ばれるに相応しい美しさであるが、一年の内の数日しかも近くの戌山城址に登らないと観られない光景である。
越美県境に端を発っしそれぞれ「九頭竜峡」、「真名峡」と呼ばれる深く美しい渓谷を流れ、この盆地を南北に横切る二つの清流、九頭竜川とその支流真名川に育まれた「岩魚」、「ヤマメ」、「鮎」の釣趣や味覚もまた格別である。そんな田舎町で暮らす目線から少しづつ紹介して行こうと思います。
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⇒Home越前大野 旨いもん自慢!!
四季の美味しい農作物の宝庫

美しい自然、豊かな大地と名水
福井県は古来より、北の越前と南の若狭の二国から成り立っていました。その越前の国の東部、今の大野市と勝山市が奥越前と呼ばれています。
東側に霊峰白山、日本三百名山「経ヶ岳・標高:1625.2b)」、美しい山容を見せる別名「大野富士」と呼ばれる日本百名山「荒島岳(標高:1523.5b)」、日本二百名山「能郷白山(標高:1617.3b)」が連なる越美山塊の1000m級の山々に囲まれた越前大野は四季を通じ一日の寒暖の差が大きい標高の高い地域と周囲の山々から流れ出る河川と豊富に湧き出る地下水が、数多い農作物を美味しく作り上げます。
この緑と青の盆地は水の良い地は食い物が美味いと言われる様に「米」「里芋(もはや全国ブランドと成った上庄さといもは代表格)」は言うにおよばず「蕎麦」「豆腐」「和菓子」「餅・煎餅」等々加工品も評判が高いです。