越前・加賀の伝説

       
大野城
   

越前の伝説 白山周辺

  

蛇塚  

白山を開いた泰澄(たいちょう)大師と大蛇(オロチ)の話です。
昔、白山周辺の山の上にはたくさんのオロチが棲んでいました。
その数は、三千匹ともいわれていました。
オロチは、ふもとの村々まで下りてきて畑を荒らしたり家畜を襲うなどの悪事を働いていました。
オロチの悪行を知った泰澄は、すべてのオロチを集めて諭しました。

  
蛇塚
  

蛇塚

ところが、どうしても言うことを聞かないオロチが千匹いたので、泰澄はこの千匹を一カ所に埋めて、その上にたくさんの石を積み上げました。
これが弥陀ヶ原の近く「黒ボコ岩」下の観光新道にある蛇塚(じゃづか)です。

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千蛇ヶ池  

  
千蛇ヶ池
  

「千蛇ヶ池」と「御宝庫」

白山を開いた泰澄(たいちょう)大師と大蛇(オロチ)の話です。
昔、白山周辺の山の上にはたくさんのオロチが棲んでいました。
その数は、三千匹ともいわれていました。
オロチは、ふもとの村々まで下りてきて畑を荒らしたり家畜を襲うなどの悪事を働いていました。
オロチの悪行を知った泰澄は、すべてのオロチを集めて諭しました。
残った二千匹のうち、千匹には頂上に近い池に棲むように言いつけ、すべての大蛇が池に入ると、その上から万年雪でふたをしてしまいました。
そして雪が融けて大蛇が池から出てきそうな時には、池の上にある「御宝庫(おたからぐら)」と呼ばれる大岩の塊が崩れ落ちて池のふたとなるようにしたということです。
この池を千蛇ヶ池と呼んで、今でも解けることのない万年雪の下に大蛇がいると言われています。

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刈込池  

  
刈込池
  

三ノ峰下の「剣ヶ岩」と「刈込池」

白山を開いた泰澄(たいちょう)大師と大蛇(オロチ)の話です。
昔、白山周辺の山の上にはたくさんのオロチが棲んでいました。
その数は、三千匹ともいわれていました。
オロチは、ふもとの村々まで下りてきて畑を荒らしたり家畜を襲うなどの悪事を働いていました。
オロチの悪行を知った泰澄は、すべてのオロチを集めて諭しました。
次に残った千匹には法刀をもって「汝等かくもあさましき姿をもち、悪食を好み、三熱の苦をうけるよりは、この池に入り弥勒の出世を待つがよかろう」と諭し、刈込池に棲むように言いつけました。
そして池を見下ろす大岩の上に大きな剣を立て、その影が水に映るようにしました。この大岩が「剣ヶ岩」と呼ばれています。鉄に触れて体が腐るのを恐れた大蛇は、池から出てこなくなりました。

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飯降山の尼伝説  

  

乾側地区より見る飯降山いふりやま上丁かみようろ中丁なかようろ集落

大野市の西南部小山地区に位置し、市民から「御嶽さん」「オタケサン」と呼ばれて愛されている伝説に包まれた信仰の山、「飯降山(標高884.3m)」の山名に関係する伝説です。
昔、この山に三人の尼さんが住んでいました。
三人は仲良く一心に行を続けていました。その苦行の様子を山の神様がご覧になってか、毎日、高い空から握り飯が降ってくるように成りました。
このことから、この山を「飯降山」と呼び麓の村を飯降村と呼ぶようになったそうです。
三人は、それを食べながら修行を続けました。何年か経ったある時、行をする心が緩んだのか、降ってくる握り飯を三人で食べるより、二人で食べる方が十分食べれると思い、二人が相談をしてもう一人の尼さんを高い崖の上に誘い、油断を見澄まして深い谷底へ突き落として殺してしまいました。
さて、三個の握り飯を二人で分けて食べられると喜んで居ましたが、次の日から、一人分少なく降って来るようになりました。
我慢が出来なくなった一人の尼さんが独り占めしようと考え、もう一人の尼さんを同じ谷底へ突き落として殺してしまいました。しかし、その日からもう一粒の飯粒も降らなく成ってしまいました。
残った尼さんは腹を空かして、ヨロヨロとよろけながら山を降りて行きました。
たどりついた麓の村を「ようろ」と呼び、今でも「上丁かみようろ」「中丁なかようろ」「下丁しもようろ」の地名が残っています。
又、尼さんを突き落とした谷を「比丘尼びくにおとし」と言いますがはっきりした場所は分りません。

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お嶽さん丈競べ・・・三つの小石を持って登ろう  

  

何百年か前、毎年八月十四日の御嶽神社のお盆のお祭りの日は朝から夜中まで大野の各地からの参拝登山の人で蟻の行列の様な賑わいでした。
その行列は夜はタイマツを燈して長々と山頂から麓まで連なりました。
麓の飯降村の人たちは山頂をはじめ麓の神社まで夜通し奉仕をしていました。
夜が更けて参拝者が途絶えた時、疲れが出たのか村長が奥ノ院の祠の前でついウトウトとしてしまいました。
夢の中に「皆が熱心にお参りをして大切にしてくれて有り難いが向かいの荒島より背が低いのが残念でならない。何とか成らないものか」とおたけさんの神仏様が出て来られて告げられたそうで信心深い麓の村人達が申し合わせて、参拝の折に小石を持って登ろうと決めました。
これ以来、小石を持って登って来た者に一つだけ願いが叶う様になったと言い伝わっています。
今では、毎年六月の第一土曜日の御嶽神社のお祭りの日にタイマツ登山の行事が行われ、三つの小石に願い事を書いて奥ノ院の祠の周りに積み上げています。

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